「差別」はネガティブなイメージなのに「差別化」はなぜネガティブなイメージではないのか

「差別」はネガティブなイメージなのに「差別化」はなぜネガティブなイメージではないのか

「差別」という言葉にはネガティブなイメージがあります。男女差別、人種差別、差別用語など。

さべつ[差別]
( 名 ) スル
1 ある基準に基づいて,差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また,その違い。 「いづれを択ぶとも,さしたる-なし/十和田湖 桂月」
2 偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また,その扱い。 「人種-」 「 -待遇」
3 〔仏〕 「 しゃべつ(差別) 」に同じ。

上記は大辞林の定義です。元々は1の意味のように単に「区別」の意味で使用されていたのかもしれませんが、「これは差別じゃなくて区別」のような言い回しがあることからも分かるように、現在では2の意味で用いられることが多いと思います。

 

一方「差別化」。

さべつか[差別化]
他との違いや独自性を明確に打ち出すこと。 「 -を図る」

こちらも大辞林から。「差別化」という言葉は、「商品を差別化する」「これからは翻訳会社も差別化が必要だ」などのように、「競合他社に対して自社のポジションを確立するために意味のある違いを打ち出す活動」の意味で使われることが多いと思います。

ニュートラルまたはポジティブなニュアンスを感じます。男女差別や人種差別と言う場合の「差別」の意味は感じません。

このように、「差別」と「差別化」は似ていながらも受ける印象が異なります。

なぜこのような現象が起こっているのか考えていて思いついたのが、「差別化」は「差別」の派生語ではないのではないかという説です。形式的には派生語ではありますが、意味的には直接繋がっていないのではないか

「製品の差別化」と言う場合の「差別化」に該当する英語は「differentiation」ですが、この「製品のdifferentiation」の概念が輸入されたときに、「差別化」という訳語をあてて、もしくは「差別化」が生き残って、それが現在普及しているのではないかという自説です。誕生時から現在の用法での「差別化」の意味であり、それ以前は「差別」の文脈では「差別化」という言葉は使用していなかったのではないか。それゆえ「差別化」からは「差別」を感じない、と。

Ngram Viewerが日本語対応していればその説を検証できるのでないかと思いましたが残念ながら日本語未対応ですので日本語コーパスである少納言で「差別化」を調べてみると、「製品の差別化」の意味での用例は1970年からあるようです。少納言のデータ自体が70年代以降なのでそれより前については残念ながら分かりません。

私は70年代後半の生まれで、当時の状況や意味用法の変遷などが実感としてよく分からず、今のところこの説の真偽は不明です。

いずれにしろ気を付けないといけないのは、言葉は受け取る人によって感じ方が違うということ。

差別はネガティブで、差別化はポジティブ」という感覚に違和感がある方もいると思います。実際、最近は、「差別化」という言葉は「差別」を連想させるため「差異化」など別の表現を使うべきだという考えもあります。また、企業が「差別化」するのは良いが、個々の人に対して「差別化」を使うと「他よりも低く取り扱う」印象になるため対象が人間の場合は避けるべしと考える人もいるようです。

個人的には「差別」から「差別化」のニュアンスは感じず、「差別化」から「差別」のニュアンスも感じませんが、論争がある言葉は注視していこうと思います。

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