オデュッセウスの欠如

オデュッセウスの欠如

古い本を読んでいたら、「粁」という見慣れない漢字が出てきたのですが、「キロメートル」だと、なんとか解読できました。メートルを米と書くのは、「平米」が辛うじて生き残っているようですが、カタカナで書くよりは簡単そうだけどアルファベットよりは面倒で、一番わかりにくいので、ダメだなと思いました。

大学の先生が教室への各種デバイスの持ち込みを禁止することにした話を読んで......いる最中も気が散って仕方がなかったことからわかるように、自分でもいろいろと思いあたる節があったので、どうにかしようと思って、職場でいくつか工夫をしてみました。
メーラーの通知をオフにしたり、グループウェアの通知の頻度を下げてみたり、いくつかのURLに接続できないようにしたり、いろいろやってみたところ、どうにか少し集中力が回復した気がしました(その分世相に疎くなりましたが)。
このようなある種自虐的な行為について、英語圏の人は、オデュッセウスが自分をマストに縛り付けさせた話に例えることがよくあります。日本にはそれに対応する話がないようですし、オデュッセウスさんもあまり有名ではないですし、集中力の欠如に関する話も英語圏ほどには見かけない気がします。
向こうの人はやることがいちいち過激だという話なのか、日本人は生産性が低いという話なのか、よくわかりませんが、この記事をこれ以上引き伸ばしても誰も得をしないということはそろそろ明らかになったと思いますので、これで終わりです。

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