手動翻訳する理由
仕事中、主に訳文を見返すときに、これとこれがこうなって、とか、ここからここまで、とか頭の中で唱えながら、宙に浮かせた手を動かしていることがよくあります。隣の席の人がぎょっとしているので、あまり一般的なことではないようです。
先日、紹介されていたリンクをなんだかよくわからないまま踏んでみたら、哲学者ダニエル・デネット氏の新著、『From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds』の書評にたどりつきました。読んでいるうちに眠くなっていって、途中の一文が目に止まりました。
as Dennett observes, we find it very difficult to talk without moving our hands, an indication that the earliest language may have been partly nonvocal.
https://www.nybooks.com/articles/2017/03/09/is-consciousness-an-illusion-dennett-evolution/
手を動かさずに話すのは難しいことから、初期の言語は非音声コミュニケーションを伴うものであったと考えられる、というようなことが書いてあります。
ということは、言語を司る脳の部位とジェスチャーを司る脳の部位が近いとかいう話なのかもしれないなと思って、調べてみました。
まず、手を動かすと、適切な言葉を探すときに役に立つそうです。これはたしかにそういう実感があります。
次に、複雑な物事について考えるときに、頭への負荷を和らげることができるそうです。そういえばややこしい文のときによく使っているかもしれません。
さらに、バイリンガルの人は得意な言語で考えているときのほうがよく手が動くそうなので、英日翻訳をしていて手が動くのは辻褄が合いそうです。たまに英語を書くときは大人しい気がします。
おまけに、空間的な概念について考えているときによく手が動き、バイリンガルはモノリンガルより手が動くと考えられているそうです。いつもではないものの、そういえば、隣の席の人に、今のは何か、と聞かれたときに、今のはacrossです、とか、overのイメージです、などと答えたことがあるので、前置詞のときによく手を振っているかもしれません。また、私はバイリンガルではありませんけれども、バイリンガルっぽいことが身に付いてきたのであれば、いい傾向なのかもしれないと思いました。
というわけで、翻訳をするときに手が動くのにはもっともらしい理由付けができそうな気がしてきました。みなさんも訳文を眺めていて行き詰まったときは手を動かしてみてはいかがでしょうか。